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☆子どもを叱るがコミュニケーション?を叱る!☆
「叱ってもいうことを聞かない子ども」について子どもの最高の代弁者でもあり、親の理解者である笑福亭竹林さんから最高!にいいお話が届きました。↓↓
少し前になります。「叱ることはコミュニケーション」を、読ませていただき、思うところあってお邪魔しました。
よければ、しばらくお付き合い下さい。
「子どもは叱らなければ言うことを聞きません。しかり続けて正常です!」確信に満ちた言葉、勇気が沸きますね。
「いたずらや失敗をしない子は、親からも大人からも関与されることが少ない。叱ることはコミュニケーションです」
こんな言葉でほっとし、楽な気分になれて、日頃の子育てのイライラから解放された親御さんが沢山いらっしゃるのでしょうね。
ホントによかったよかった。
でも、ちょっと待って下さいって思います。
遠慮がちに反論をさせて下さい。
僕はたった二人の子どもを育てたってだけの経験から、「子どもは叱らなくてもいい。いや叱ってはいけない」って、思っています。生意気にも、そんな講演を各地でさせていただいてます。
だから、反論です。
反論は肛門の話から始まります。ごめんなさい。
肛門ってのは、「ここにある」って感じたら「痔」なんだそうです。
肛門は見えません。直接さわることもあまりありません。日頃は全く存在を意識しません。
「ここにある」つまり、「痒い」は既に「痔」なんだそうです。
そして、日頃は存在を意識されない肛門は「痔」になって初めて、そこにあることを気付いてもらえるのです。
「いたずらや、失敗をしなければ親から関与されない」って、あなたの可愛い子どもは肛門なみの扱いですか?
いや、子どもと、肛門は一緒です。
どちらも、ほったらかしにされて悪くなるのです。
そしてどちらも悪くなってから叱ってもなかなかなおらないのです。
「叱ることはコミュニケーションです」に反論です。
今度は校門の話です。
僕は毎朝、小学校と中学校の校門に20分ずつ立ってます。子どもに「おはよう」をいいたいだけのためです。
先日のことです。
その日は一番厳しい先生が登校指導でした。
遅刻する子に注意し、名前を名簿にチェックします。
予鈴が鳴ると登校指導の始まりです。
冬の寒い日は遅刻がいっぱい。
殆んどの子どもは、校門の左側から来ます。
と、反対側からジュンヤが来ました。
いつも一番元気に「おはようございます」を言ってくれる元野球部の三年生です。
「おはよう!」いつものように声を掛けようとしてためらいました。先生が振り返ってしまいます。
僕がためらった瞬間、ジュンヤがニッコリ笑ってその口元に人差し指をたてました。
僕もニッコリ笑って口パクで「お早う」をいいました。
二人の気持ちがぴったりあった楽しい瞬間でした。
あなたの国ではどうか知れませんが、僕の生まれ育った日本では、こんなのを「コミュニケーション」と呼びます。そう呼ぶことを許してもらえないのなら、それを日本では「あ・うんの呼吸」と呼び、心が通じあっていなければ出来ないことです。
「子どもは言うことを聞きません。しかり続けるのです。それで親も子も正常です」って、そんなことが常識としてまかり通るのならそれこそこの国は異常です。
次に、この講演をお聞きになって楽になったって親御さんに言います。
子育ては大変ですよね。エネルギーがいりますよね。
「叱ることは疲れる」って、なるほど。だったら、叱らなければいいじゃないですか(笑)
子育てっていうのは、このブログの管理人さんのように、毎晩4、50分も寝るる前に本を読んであげたり、またそのご主人のように、朝早く起きて子どもとマラソンしたり、そんなことをいうのです。
そんな努力をせずして「叱ることは疲れる」って、それはないと思います。
自分が勝手にイライラして子どもにあたって、でもって「疲れる」では子どもはたまったもんやないです。
今度は全ての大人に問いかけます。
僕のは冒頭の講師のように確信があってのことではありません。やはり遠慮がちにです。
叱る行為の大部分は親の感情の高ぶりじゃないですか?子どもがなにか悪さをしてしかりましたか?そしてイライラしたのですか?きっと違う気がします。
親のイライラが先にあって、あげく「箸をこかした」程度のことを叱ってはいませんか?
いや、それどころか子育てそのものが親の都合で行われてはいませんか?
親が自分の都合を優先するから、子どもは自分の都合でしか動かない、わがままな子になるんじゃないでしょうか?
自分のイライラを子どものせいにする。そんな責任転嫁を繰り返すうちに、自己責任を棚にあげて、他人のせいにばかりする。そんな人間になってしまうんじゃないでしょうか?
「子どもは獣だ。だから自分達がそうしてしまったわがままで、責任転嫁する、そんな目立つ子どもだけを見て「子どもは獣だ」「子どもは叱らなければならない!」なんて声高に叫んだり、そんな言葉に「なるほど」なんて、感心したりしてはいませんか?
全ての親御さんに改めて言います。子育てシンドイですよね。子どもを叱りたくなるのは無理ありません。真っ正面から真面目に子育てに立ち向かえば尚更です。
あえて言います。立ち向かうのやめてみませんか?楽になりますよ。
楽になったらしからなくなります。親がしからなかったら、叱らなくてもいい子にきっとなります。
気楽に頑張って下さい。皆さん頑張りましょう。
だって子どもは可愛いですもんね。
「叱った分だけしっかり抱き締めてやりたい」って、おっしゃるんなら、叱る前に抱き締めてやって下さい。
それが子どもの都合に合わせるってことです。
もう一度確信を持って言います「子どもは可愛いですもんね!」
蛇足です。
「逝きし世の面影江戸時代はいかに子どもに優しくしからない時代であるかがわかります。
そして、叱られない子がいかにいい子になるかがわかります。
その事実を知って驚くと同時に嬉しくなります。
長い長い本です。「子どもの楽園の章」だけでも、立ち読みして下さい。
よければ、しばらくお付き合い下さい。
「子どもは叱らなければ言うことを聞きません。しかり続けて正常です!」確信に満ちた言葉、勇気が沸きますね。
「いたずらや失敗をしない子は、親からも大人からも関与されることが少ない。叱ることはコミュニケーションです」
こんな言葉でほっとし、楽な気分になれて、日頃の子育てのイライラから解放された親御さんが沢山いらっしゃるのでしょうね。
ホントによかったよかった。
でも、ちょっと待って下さいって思います。
遠慮がちに反論をさせて下さい。
僕はたった二人の子どもを育てたってだけの経験から、「子どもは叱らなくてもいい。いや叱ってはいけない」って、思っています。生意気にも、そんな講演を各地でさせていただいてます。
だから、反論です。
反論は肛門の話から始まります。ごめんなさい。
肛門ってのは、「ここにある」って感じたら「痔」なんだそうです。
肛門は見えません。直接さわることもあまりありません。日頃は全く存在を意識しません。
「ここにある」つまり、「痒い」は既に「痔」なんだそうです。
そして、日頃は存在を意識されない肛門は「痔」になって初めて、そこにあることを気付いてもらえるのです。
「いたずらや、失敗をしなければ親から関与されない」って、あなたの可愛い子どもは肛門なみの扱いですか?
いや、子どもと、肛門は一緒です。
どちらも、ほったらかしにされて悪くなるのです。
そしてどちらも悪くなってから叱ってもなかなかなおらないのです。
「叱ることはコミュニケーションです」に反論です。
今度は校門の話です。
僕は毎朝、小学校と中学校の校門に20分ずつ立ってます。子どもに「おはよう」をいいたいだけのためです。
先日のことです。
その日は一番厳しい先生が登校指導でした。
遅刻する子に注意し、名前を名簿にチェックします。
予鈴が鳴ると登校指導の始まりです。
冬の寒い日は遅刻がいっぱい。
殆んどの子どもは、校門の左側から来ます。
と、反対側からジュンヤが来ました。
いつも一番元気に「おはようございます」を言ってくれる元野球部の三年生です。
「おはよう!」いつものように声を掛けようとしてためらいました。先生が振り返ってしまいます。
僕がためらった瞬間、ジュンヤがニッコリ笑ってその口元に人差し指をたてました。
僕もニッコリ笑って口パクで「お早う」をいいました。
二人の気持ちがぴったりあった楽しい瞬間でした。
あなたの国ではどうか知れませんが、僕の生まれ育った日本では、こんなのを「コミュニケーション」と呼びます。そう呼ぶことを許してもらえないのなら、それを日本では「あ・うんの呼吸」と呼び、心が通じあっていなければ出来ないことです。
「子どもは言うことを聞きません。しかり続けるのです。それで親も子も正常です」って、そんなことが常識としてまかり通るのならそれこそこの国は異常です。
次に、この講演をお聞きになって楽になったって親御さんに言います。
子育ては大変ですよね。エネルギーがいりますよね。
「叱ることは疲れる」って、なるほど。だったら、叱らなければいいじゃないですか(笑)
子育てっていうのは、このブログの管理人さんのように、毎晩4、50分も寝るる前に本を読んであげたり、またそのご主人のように、朝早く起きて子どもとマラソンしたり、そんなことをいうのです。
そんな努力をせずして「叱ることは疲れる」って、それはないと思います。
自分が勝手にイライラして子どもにあたって、でもって「疲れる」では子どもはたまったもんやないです。
今度は全ての大人に問いかけます。
僕のは冒頭の講師のように確信があってのことではありません。やはり遠慮がちにです。
叱る行為の大部分は親の感情の高ぶりじゃないですか?子どもがなにか悪さをしてしかりましたか?そしてイライラしたのですか?きっと違う気がします。
親のイライラが先にあって、あげく「箸をこかした」程度のことを叱ってはいませんか?
いや、それどころか子育てそのものが親の都合で行われてはいませんか?
親が自分の都合を優先するから、子どもは自分の都合でしか動かない、わがままな子になるんじゃないでしょうか?
自分のイライラを子どものせいにする。そんな責任転嫁を繰り返すうちに、自己責任を棚にあげて、他人のせいにばかりする。そんな人間になってしまうんじゃないでしょうか?
「子どもは獣だ。だから自分達がそうしてしまったわがままで、責任転嫁する、そんな目立つ子どもだけを見て「子どもは獣だ」「子どもは叱らなければならない!」なんて声高に叫んだり、そんな言葉に「なるほど」なんて、感心したりしてはいませんか?
全ての親御さんに改めて言います。子育てシンドイですよね。子どもを叱りたくなるのは無理ありません。真っ正面から真面目に子育てに立ち向かえば尚更です。
あえて言います。立ち向かうのやめてみませんか?楽になりますよ。
楽になったらしからなくなります。親がしからなかったら、叱らなくてもいい子にきっとなります。
気楽に頑張って下さい。皆さん頑張りましょう。
だって子どもは可愛いですもんね。
「叱った分だけしっかり抱き締めてやりたい」って、おっしゃるんなら、叱る前に抱き締めてやって下さい。
それが子どもの都合に合わせるってことです。
もう一度確信を持って言います「子どもは可愛いですもんね!」
蛇足です。
「逝きし世の面影江戸時代はいかに子どもに優しくしからない時代であるかがわかります。
そして、叱られない子がいかにいい子になるかがわかります。
その事実を知って驚くと同時に嬉しくなります。
長い長い本です。「子どもの楽園の章」だけでも、立ち読みして下さい。

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